CRIME OF LOVE 6
以前ふらりと彼が口にした、他国の戦争にかかわる道。だがその時、同時に彼は言った。俺には現代の戦さは性に合わないだろう、単なる数の殺戮はおもしろみに欠けると。
「行ったりしないよね、ほかの国になんか」
「ならば帰るしかない。俺が生まれた空の下へ」
「いや!」
望美ははじかれたように拒否の声を上げた。最初の衝撃が退き、ようやくいつもの闊達さが戻ってきたようだ。手を伸ばし、知盛の腕をぎゅっとつかんだ。
「離れたくない。あなたを危険なところに行かせたくない。私はあなたを愛してるよ。そばにいたいよ。あなたはここで、しっかり生きてきたじゃない。どうしてこのままじゃ駄目なの?」
鮮やかな成功を手にして何だって思うとおりになるはずなのに、そんなの石ころひとつにも及ばないような、非情なほどの切り捨て方だ。何もかもこんなにあっさりと捨て去っていけるものなのか、この自分も含めて? 知盛にとって、自分の存在は何ほどの意味も持たなかったというのだろうか。絶望と疑念の入り混じった思いに、心が乱れた渦を巻く。突き上げる疑問が口からこぼれ出た。
「ねえ、私はあなたにとって何なの? そんなに簡単に置いていけるものなの?」
細い指から知盛に伝わってくる、思いもかけぬほどの強靭な力。望美が剣を握らなくなって久しい。だが敵を果断に断ち切る刃をふるったその手は、知盛の心までも引き留めようとするかのように、彼を捕らえて離そうとしない。
離れたくない、愛していると、ありのままを伝える望美の率直な叫びのひとつひとつがたたみかけるように知盛を揺さぶる。数々の修羅をくぐり抜けてなお、人を信じることをやめなかった澄んだ瞳が、激しく深い感情をたたえて彼を見上げている。
かつてはその意志の力が、多くの人々を動かし戦乱を収め、源氏と平氏の和議を成した。―――だが知盛にとってそれは、幸福で緩慢な死の始まりだった。
「どうしてもあなたが行くなら私も行く。あなたと一緒に……」
「駄目だ」
言いかけた彼女を知盛はびしりとさえぎった。望美の手をそっと、しかしきっぱりと自分の腕から離させた。
「おまえは平和に馴れすぎた。……足手まといだ」
冷たく言い放つ知盛に、望美が大きく肩をふるわせる。かすれた声がしぼりだされた。
「……ひどい」
傷ついた望美の表情に知盛はかすかに顔をゆがめた。彼女を愛してずいぶん変わったとはいえ、相変わらず皮肉屋で、時には冷淡にすら見える彼だったが、ここまで突き離した言い方をしたことはない。表面に素直に表れなくとも、彼の中にはいつでも望美に向ける想いがあった。それに望美のあれほどの剣の腕がもう使い物にならないなどと、知盛は一度たりとも考えたことはなかった。
……だが、これでいい。彼の胸を躍らす、しかし凄惨で醜悪な戦場にふたたび彼女を連れ出すくらいならば。
共に重ねた日々の中で、彼は望美のさまざまな顔を見た。戦乱にある時とはまるで違う、年相応の娘らしい華やぎ。貪欲で純粋な女の艶が知盛の血を熱くさせるのと同様、それらもまた愛すべき望美の一面だった。
時空を超え、命を賭けた戦いを経験したことで、彼女の人生も物の見方も大きく変化したのだろうが、それでも夢や希望を語る姿は微笑ましく、いとおしさは増した。
彼女は愛に満たされ、幸せに生きていくべき人間だろう。戦いを求める彼の妄執に引きずっていい女ではない。
今後の彼女の人生にかかわるであろう、彼女を愛するであろう幸運な男のことを考えると、ひりつくほどに胸は軋んだが、それをも彼は無表情な顔の下に押し込めた。彼女の世界はここなのだ。彼の世界があちらであるように。ただ愛しているからと連れて行くのは……罪だ。
しかしこれ以上傷つけるにはしのびない。彼女の痛みはこの自分の痛みでもあるのだから……。彼は自嘲気味につぶやいた。
「そうだな。俺は、おまえが向けてくれる心には……ふさわしくない男だったかもしれないな」
翳りを帯びた瞳が、籠る想いにわずかに揺れた。
「それでも俺は……おまえを―――」
昔の彼にとって、愛とは泡沫(うたかた)の虚構、もしくは女と戯れるための戯言のひとつにすぎなかった。だがその言葉の持つ重さと意味を、望美との歳月を経た彼はよく知っている……。彼はやさしくさえ聞こえる声音で言った。
「望美、愛している。だから、おまえの目に……これ以上みじめな俺を映させるな」
望美が息を呑み、泣き出しそうな顔になった。
「ずるいよ……っ」
愛してるって言葉をそんなふうに。引き換えにするみたいに。
愛してるから一緒にいたいのに。それなのに。
愛しているからあなたと離れなくちゃならないって、どういうこと?
……ほしくてほしくて、やっと手に入れた男。私に絶え間ない熱を埋め込んで、焦がれさせて。さっきだって、あれほど熱く抱きしめたばかりのくせに、こんな……。
「わからない、あなたの言ってること、わからないよ……」
望美は両手で顔をおおってしまった。息もできないくらい苦しくてつらいのに、涙も出ない。
知盛が行ってしまう。戦塵の中へ。
滅びへとなだれ落ちていく人々の下へ。
獣が獣でいられる世界へ。ふたたび彼が、炎と血の匂いをまとわりつかせた艶めく野獣に戻れる世界へ―――。